97歳のリモート同窓会


市川(宮田)みち子(高女32回)

 

はじまりは1冊の本でした。
私の末の妹の遺品から”Michiko Miyata”と記名があるフランス語の歌の本が見つかり、私の手元に戻ってきました。この”LES CHANTS DE L’ENFANCE”という本は3人姉妹で順番に大切に使った教科書でした。

ひ孫の星合はな(高71回)がこの本をフランス語の八岡(宮川)裕子先生(高32回)にお見せしたい、と写真を撮ってお送りしたところ、貴重な本であると大変喜んで下さり、修道院にいらっしゃるスール方にもご覧頂きたいのでお借りしたいとご連絡を頂きました。ところがそれから間もなく世間はコロナ禍となり気軽に往来ができなくなったため、この話は進まずに時が過ぎていきました。

今年になって八岡先生からひ孫にご連絡を頂き、スール方に会いに修道院に行くのであの本をお借りしたいとのことでした。お訪ねするスール方のお名前を伺ったところ、なんとその中に私の同級生のスール松井千恵さんがいらっしゃることが分かりました。フランス語が大好きなスール松井に、このフランス語の歌の本は私の物であることをお伝えしたらとてもお喜びになり、是非お話したい!とおっしゃっているとのことでした。

私は車椅子で暮らしていて外出もままならないため、孫やひ孫からビデオ通話がいいのではないかと提案があり、八岡先生が修道院にいらっしゃる時に、私も孫に来てもらい、スマートフォンで繋ぐということになりました。

当日、約束の時間までこのプチ同窓会が上手くいくのかドキドキしておりましたが、スール松井のお姿が画面に映った瞬間、私の心配は吹き飛びました。スール松井は金祝の時に一緒に撮った写真もご用意下さり、あの日から30年の月日が経ったことに気づきましたが、ついこの間のことのように感じられました。まるで長い空白の時間などなかったかのように、まるで2人で女学生に戻ったかのように、校歌を仲良く歌いました。いつの時からか歌われなくなっていた「幻の2番」も含めて、1番から3番まで全てです。歌やフランス語や学生時代の出来事が100歳近くになった今でも蘇ってきたことは、とても感慨深いものでした。時間にすると10分程度の同窓会でしたが、かけがえのない10分間となりました。コロナ禍を経たことにより、リモート同窓会という新しい発想に恵まれて実現した奇跡のひととき。このような機会を与えて下さった神様に感謝しております。

なお、僭越ながら祖母 市川(宮田)みち子に代わり、孫 星合(大西)麻美子が筆を執りました。

【スール松井千恵のご経歴】
1949年、慶應義塾大学卒業後に白百合学園中学高等学校の教諭となり、函館・仙台・盛岡・函嶺・湘南の白百合学園の教諭・教頭・校長を歴任。1984年からは白百合女子大学児童文化学科の助教授・教授として教育研究にあたられました。大学では児童文化学科の創設、大学院修士課程や児童文化研究センター設置等にも大きく貢献されました。(白百合女子大学創立50周年記念出版より)

市川(宮田)みち子(高女32回)

二人だけの同窓会の日には、孫のスマホでスール松井と校歌を3番まで歌いました。

スール松井千恵(高女32回)


二人だけの同窓会の日のスール松井千恵(中央)
椎津ニコル先生(写真右)、スール吉田めぐみ(写真左)と

3人姉妹で使った

戦前のフランス語の教科書

戦時中に削除された2番の歌詞

(クリックすると拡大します)


戦前の校舎の前で

戦前の小学校卒業証書


戦前の高校卒業証書