座談会 〜白百合とすみれのこころ〜
田中真理(高35回)・小村康子(高44回)・岡村里香(高44回)・橋本久美子(高48回)
同窓生永久輝せあさんの花組男役トップ就任を記念し、白百合から宝塚に進学された方々をご紹介いたします。
座談会では4名の方にお集まりいただきました。(以下、敬称略)
会報:皆様の宝塚受験のきっかけからお聞かせください。
田中:私は母も元宝塚で幼い頃から舞台を観て憧れておりまして、ピアノは5歳から習っていたのですがダンスは中学生になってからでダンス部に所属して皆さんの前で披露するようになりました。ただ母は私が宝塚は無理ではないかと言っており、反対されていましたので大学受験をしました。学習院大学に合格をいただき、入学式出席後に宝塚の一次試験を親に内緒で受け、二次試験は宝塚へ行かなくてはならずその時に初めて両親に話しました。母は「どうせ落ちるでしょう」とあまり期待もされず送り出してくれましたが、無事合格して今に至ります。
田中
幼い頃から舞台を観て憧れて
小村
歌を歌える場所に行きたい
小村:実は私も母が宝塚出身で小さな頃から憧れを抱いていました。私は歌が大好きで幼少期からピアノを習いつつ、いつか自分は歌を歌える場所に行きたいと考えるようになりました。その時自然と母がかつていた宝塚に行きたいと考えるようになりました。最初母が大反対をしまして大学に進学してほしいと言われましたが父が許してくれまして受験を決めました。
岡村:中学生の頃に幼稚園の先生や歌のお姉さんのような歌とダンスができる仕事がしたいと漠然と考え始めました。両親には考えを伝えていたものの、しっかりお勉強をして大学進学してほしいと言われ日々過ごしていました。でも私の強い思いが両親に伝わりまして、父が宝塚の評判などを頻繁に聞き、「清く正しく美しく」の世界に身を置くのも良いのではと思ったようで許可が出ました。父の出した条件は高校卒業後の一回限りの受験でしたので、高校時代は毎日ダンスのレッスンには通っていましたが学業面では白百合の先生方に支えていただきました。
岡村
歌とダンスができる仕事がしたい
橋本
受験を考えたのはバレエがきっかけ
橋本:小さな頃からクラシックバレエを習っていまして、ただそれも中学受験で一旦中断し、白百合に入学してからバレエを再開しました。小学5年生の時に『ミー・アンド・マイガール』を観てすっかりハマってしまい、毎公演観に行くほど大ファンになったのでその頃から宝塚は好きになったのですが、受験を考えたのはバレエのプログラムに“宝塚受験スクール”の広告を目にしたことがきっかけです。ちょっと見に行ってみようかな、くらいの気持ちで見学に行ったところ、スクールの先生からお誘いがあって中1の半ばくらいから通うようになりました。勉強との両立が難しく苦労しました。両親からは受けるとしても1回2回くらいにしておきましょうと約束し、中3で初めて受験して合格をいただきました。
会報:受験をするにあたってのご苦労や周りのご友人等の反応はいかがでしたか?
田中:受験は誰にも言ってないというか、言えずにいましたので両親含め周りもさぞ驚いたと思います。
岡村:私は高3の担任が野村先生で、最初は本当に怖い先生だなぁと思っていたのですが、一番親身になってくださった先生でした。大学受験するか推薦いただくか... でも宝塚受けたいし...と揺れていた時「先生はあなたが一番やりたいことを応援するから。とにかく自分を信じて頑張って!」と応援してくださいました。私が宝塚受験することを知っていたのは野村先生だけだったと思います。受かった後に舞台を観に来てくださったり本当に気持ちのこもった温かなお手紙をくださったり...私にとって思い出の先生ですね。
橋本:私は中3での受験だったので先生にはお話しできませんでした。芸能界というのもあまり良く思われていないような気がして...お稽古に通うバッグもコソコソしながら持ってましたし。(一同笑)
田中:宝塚受験なんてタブーみたいな感じで、誰にも言えなかったわね。
田中
受験のことは誰にも言えず
小村
コツコツ努力するという習慣
会報:この度永久輝せあさんが花組男役トップになられましたが、皆様から見てトップになるというのは中にいらした方からはどのような印象をお持ちでしょうか?
田中:トップになるというのは本当に本当に凄いことだと思います。私の同期には5人トップになった人がいるんですが、周りで見ていてもとんでもない努力と特殊な才能、オーラ、特別なものを持っているなというのを感じます。センターに立つって凄いことなんです。(一同頷く)
小村:私は花組が好きでいつも観ているので、今回永久輝さんがトップになられたお披露目公演にも行く予定です!白百合は昔からお勉強は大変でしたけど、その白百合生活の中でバレエや声楽を習い、宝塚に合格され、私もそうだったので同じような苦労をしながら宝塚に入学したという同志のような気持ちもあります。もちろんトップになられたので入ってからの努力はさらに大変なことだったと思いますし、私はとても誇らしい気持ちになりますね。
白百合で培われたコツコツ努力するという習慣というのは宝塚でもすごく役に立ったなと思います。白百合で規律正しく過ごしてきたことで、宝塚に入学してもそこはすんなり受け入れられたと思います。自由な学校で育っていないので、ごく自然に違和感なく宝塚に馴染めたのかなと思うんです。
田中:私も同感です。私は小学校からなのですが、正しい敬語を使う、言葉遣い、ご挨拶など当たり前のこととして白百合で過ごして身体に染み付いているので、音楽学校入学後も特に苦労はなかったと思いますね。ただそのような環境で育って来なかった方にとってはご苦労はあるのかなと想像はできます。女子ばかりで。
橋本:私は小学校までは公立で伸び伸び育ってきて、中学から白百合に入って「違う世界に入るんだ」と自分の中で意識したことを思い出します。そんな気持ちでいたのですが、入ってみると厳しさがありつつもアットホームな温かさが白百合にはあって、下から上がってくる方たちともすぐ親しくなれてお友達もたくさんできましたし「あ、いい学校だな」と思って身構えることはなくなりました。
橋本
厳しさがありつつも
アットホームな温かさ
岡村
「清く正しく美しく」と
「従順・勤勉・愛徳」
田中:中学の時、千葉マスールがお手洗いのお掃除ご担当の先生で、千葉先生のお掃除の徹底ぶりが印象に残っています。「舐めてもいいくらいお掃除しましょう」とおっしゃってピカピカにしていました。宝塚もお掃除はそのくらいのレベルを求められますから、そこに関しても白百合から宝塚に入っての違和感は全くありませんでした。(笑)
岡村:私が印象に残っている学校行事は合唱祭ですね。ひとつの曲を何ヶ月もかけて皆で歌い上げたり、クラス毎の歌に対しての思いや作り上げる感じ...宝塚に入った時に(何か見覚えある景色だなぁ)と思ったんですね、それは合唱祭だったんです。
「清く正しく美しく」と「従順・勤勉・愛徳」は私の中ではイコールなんです。私は幼稚園からなのですが、何と言うか、女性としての生き方を学んだのが白百合だなと思います。ちょっと反抗しながらもマリア様、お祈り、先生、15年間過ごしてきたファミリーのような感覚です。宝塚は厳しかったですけど...負けなかったですね。
小村:負けなかった...よね。
岡村:敬語や言葉遣い、譲ること、ルールの細かな厳しさ、女子だけの世界で生きることなど白百合との共通項は多いですね。
田中:それがあってはじめて秩序が保たれると思うので必要なことだったとは思いますね。
(2024年12月 ポーリニアンホールにて)
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